コロナのおかげ

コロナのおかげでスタートしたコロナのおかげという名のブログをこちらに転移しました。

篤姫

を改めて見ることに。 

私が初めて堺雅人に出会ったドラマ。 

当時は途中から見始めたようで、

改めて最初から見るとまた更に思いが深くなる。

桜島の姿がモンタージュであったとしても、心に焼きつく。 




私は若い頃京都市内を転々としていた。 


歴史に興味はなかったけどいつも行く散歩道には、

なかなか歴史的重要建築があったようなのだ。 




最初にグーグルマップで確認したのは伏見区鍛冶屋町。 

大学休学後1995〜1996年夏まで

学生寮から出て安くで見つけてきた初めてのアパート。

あっという間に自分で決めて(かなり衝動的)、

あっという間に引越しし、

京阪一本ではあったけど大阪にある大学やバイト先に京都から通った。 


伏見桃山城の城下町で、水が綺麗で酒屋町としても有名で、

近くに美味しい酒粕ラーメンのお店があったのを覚えている。 




マップを見てびっくりしたのは、

当時のアパートからすぐのところに

”薩摩島津伏見屋敷跡(薩摩藩邸跡)”があったこと。

今見ている篤姫が養女に迎えられた本家!

それに、少し南に足を延ばしたところにあの寺田屋もある。

ぶらぶらと寺田屋を通って東光山長建寺まで散歩していた。

長建寺で出会った小学生くらいの女の子と遊んで、

お家近くまで送って行ったこともあった。

大学卒業後アメリカに渡るまで

アルバイトをしながらぶらぶらしていたのだった。 




もう一つは、山科区御陵。

大学卒業後本格的にアメリカに留学をし、

帰国後仕事が見つかるまでの間は北区一乗寺の寮や

西京区の桂の友人のアパートにお世話になった。

1999年大阪と滋賀で仕事を見つけると、

間をとって京都山科区の御陵を選んだ。

その近くには中臣鎌足(のち藤原鎌足)と共に大化の改新を行なった

中大兄皇子(のち天智天皇)の古墳がありよく一人で散歩をしていた。 




歴史ファンなら羨ましくなるような場所だったと思う。 


今さらながら不思議なご縁を感じる。 


遠い過去にも住んでいたのかもしれない。




追記:6月4日桜島が34年ぶりに爆発的な噴火があったとか‼️

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